一打ち二打ち三流れ

  時に元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風を震わせて
  響くは山鹿流儀の陣太鼓 しかも一打ち二打ち三流れ
  思わず はっと立ち上がり 耳を澄ませて太鼓を数え
  おーまさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ 助太刀するはこの時ぞ
  もしやその中に 昼間別れたあの蕎麦屋がおりはせぬか
  名前は何と今ひとたび

  会うて別れが告げたいものと
  稽古襦袢に身を固めて段小倉の袴 股立ち高く取り上げ
  白綾たたんだ後鉢巻 目の吊るごとく
  長押にかかるは先祖伝来俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に
  木戸を開けて一足表に踏み出せば 天は幽暗 地は凱々たる白雪を
  蹴立てて 行く手は松坂町

 

今宵は忠臣蔵、赤穂義士討ち入りの日

史実しては、浅野内匠頭が江戸城内で吉良上野介に切りつけた「松の廊下事件」と
赤穂浪士が吉良邸に討ち入って上野介の首級を上げた「赤穂浪士事件」である。

上野介はきっと浅野内匠頭にとってはイヤミなジジイだったのだろう。
だからといって藩主の立場で殺人未遂はマズい。
過度のストレスからの衝動的な行動、現代なら心神耗弱といったところか。

大石内蔵助は、ギリギリまで浅野家再興を模索していたようだ。
彼の方針に40数名が賛同して、再就職先探しをしなかった。
残念ながら再興の道が閉ざされて、行きがかり上討ち入りになったのではないか?
リーダー大石のミス(あるいは美学)に彼らが付き合った。

「忠義の華」は作られた虚像だと思う。

 

赤穂事件とはまったくかけ離れてしまった「忠臣蔵」
この虚像が、時間をかけて何人もの創作を加えて、一大叙事詩に昇華した。

天野屋利平は男でござる
日野家用人 垣見五郎兵衛
南部坂雪の別れ

涙腺を直撃する美談を、これでもかと盛りつける。

冒頭は三波春夫の代表作「俵星玄蕃」の一節。
三波春夫の熱唱、名人芸は運がよければYouTubeで見ることができる。
(アップしても削除されるようだ)

てんこ盛りの忠臣蔵が大好きなのだが、近年はテレビでドラマも見なくなった。

昭和はどんどん消えていく。

 

By転がる石