孫と遊びながら
昔、岩船の役場は上大町、今の消防団詰所のところにあった。
今の連絡所のあたり、保育園から中学校の間は松林で、上の山団地もまだ無かった。
昭和39年6月16日午後1時過ぎに新潟地震が発生した。
母に手を引かれて曾祖母と乳飲み子の弟と、その松林「中学校の山」へ逃げた。
断片的な記憶だが、しかと憶えている私のもっとも古い、3歳1ヶ月の記憶だ。
もうすぐ7ヶ月になる孫とたまに遊ぶ。
このごろはしっかりとこちらの顔を見て、認識しようとしているようだ。
いろいろ語りかけてはみるが、まだまだこれから2年半ぐらいのことは
この子の記憶には残らないのだろう。
そのうち歩いたり、しゃべったりするようになればもっと可愛く思うに違いない。
もう少し大きくなって、色々と欲しいものが出てくるようになれば
この子の親が「それはおじいさんに買ってもらおうね」と知恵をつけるはずだ。
可愛さのあまり「そうかそうか」と買ってあげたりするだろう。
そうすると味をしめて「もっともっと」とねだるに違いない。
甘やかして育ててはろくな人間にならないから
すぐに「我慢しなさい」と断ることになる。
孫には嫌われる。
息子や息子の嫁には「ケチなじじい」と蔑まれる。
孤独な老人の悲哀が死ぬまで続くことになる。
近い将来のその境遇に、耐える覚悟を持たなければと、
孫と遊びながら考えている。
by 転がる石