永遠の立会人
万代島美術館で開催されている、篠山紀信展「写真力」を見に行ってきました。
篠山紀信は私にとっての最初のアイドル南沙織を奪い取った憎い恋仇ですが、
もうずい分時間が経ったので許すことにしました。
いきなり逸れますが…
私の人生の師である吉田拓郎も南沙織のファンでした。
彼女の愛称である「シンシア」をタイトルにした作品を発表しています。
拓郎の師匠の“ムッシュ”かまやつひろしも彼女のファンで、
(拓郎はムッシュについて「酒も女も薬もみんなこの人に教え込まれた」と語っている)
曲が出来上がってから「俺にも歌わせろ」と言い出して、
デュエットで発売することになったんだそうです。
写真展は、篠山紀信の代表作が巨大なパネルで展示されていて、
世の中にはこんな大きなプリンターがあるのか?と余計な関心をしながらも、
すっかり魅入られました。
鍛え上げられた肉体を晒して日本刀を構える三島由紀夫には、
究極のナルチシズムを感じました。
水着で水上に横たわる山口百恵は、あたかも
総ての人に愛を与えて疲れ果てた女神のように感じました。
エロチシズムを感じさせない宮沢りえのヌードも、
エロチシズムを突き詰めた高岡早紀のヌードも、
たどり着いたところは同じように「至福」だと感じました。
一番長く見とれていたのは、吉永小百合さんの写真です。
風雪の中に立つ小百合さんは、儚げで、清らかで、それでいて芯の強いといった、
一見いかにも彼女のイメージ通りの写真に見えますが、
白さの中で、かすかに開いた口に置かれた紅が艶めかしく鮮やかです。
あるいは雪女かとも感じられます。
日本女性の鏡のような小百合さんの中に潜む、
女の妖しを写し出したようにも感じました。
余計な説明の無い分、見る側の感性も試されるかも知れません。
篠山は、写真家は往々にして「時の死」の立会人だと言っているそうです。
「死」は永遠です。
永遠を切り取るために、写真家は身を削って被写体に向かっているのでしょう。
最後のコーナーは東日本大震災の被災者の写真でした。
名もなき人々の、哀しみに堪える顔には、その先の勇気を感じました。
正に「写真力」であります。
by ガンダルフ