岩中野球
年に一度の岩中野球部OB会
今年も「まごころ」さんで行われました
岩中野球部…
昔は(もう30年以上前の話しです)
数えきれない独特の規則がありました
ぞいっ!おいっ!(練習時の掛け声です)
練習中、大声でずっと絶える事無く
代わる代わる声を出し続けます
待機の時はつま先立ちです
先輩には帽子取って挨拶
(その頃は学生帽を被っておりました)
そして敬語で話す!
時々岩船弁が混ざります…
(例)嫌です→んたです!(笑)
夏の大会が終了して
2年生は、やっと俺らの天下!と安心しても
夏休みに引退した先輩がシゴキにやって来る訳ですよ・・・
ちょっと嬉しそうに(笑)
シゴキ(失礼!指導です)もハンパ無く
体力のある者だけがついていける状況です
そして辛い練習が終わったと思ったら
一日の練習の仕上げに
「よー聞げよー」が始まります・・・
この「システム」は、とにかく走らされる
夏の炎天下で・・・
例えば・・・
松林コース10周してから体育館の右端、そして真ん中、左端・・・
次はスコア―ボード(同上・・・)
それぞれにタッチしてホームベースに戻ってを往復走らされ・・・
そして最後に松喜和まで往復・・・.
それも競争させられ
げっぽから5人をまた競争・・・
死ぬ~(笑)
よー聞かなければ忘れそうだから
よー聞げよーなのです
今思えば笑えるような事も当時は懸命にやってました
理不尽と思える事も(笑)
しかし縦の関係はしっかりしていたし
何より先輩は野球が上手かった
そして尊敬出来る先輩ばかりだった
いつかレギューラーの座を!と毎日思い
下級生が各々自作のトンボで
休み時間にグ゙ランドの地ならしを丁寧に丁寧に仕上げても、
ならし方悪い!と言ってまた叱られる・・・(笑)
先輩から褒められるなんて事は
滅多に無かったような気がします
僕は高校でも野球をしましたが
岩中野球部は色々な意味で最強だと
つくづく感じました
辛い練習
厳しい上下関係・・・
しかし
今振り返ると
得たものは大きいですよね
そして人生において大いに役立っていますし
岩中で野球をやれて本当に良かったと思っています
そしてそして
岩中を卒業して30年以上経っても
こうやって先輩後輩が集まれる絆の強さに
感謝しております
byおんさ