時に利あらず 騅(すい)ゆかず
すこし前まではそこかしこにあって、ブレイクタイムに利用させてもらっていたのに
コンビニやその他の店頭から灰皿が撤去が進んでいる。
嫌煙は正義なのだろう。
中央の権力とメディアがグルになって、こんな田舎にまで自分たちの正義を押し付ける。
寒空の無力感。
ふと「垓下の歌」が口からこぼれた。
古代中国の「周王室」は紀元前11世紀から700年近く続いたとされている。
その周の統制が乱れた末期(春秋戦国時代)に、
秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国が各地で勢威を張った。
その中の秦の王、政が他の国を制圧して中国史上初めての統一国家を創り上げた。
政は始皇帝となった。
始皇帝の陵墓が発見されたのは1974年。
世紀の大発見である。
俑(よう)と呼ばれる兵馬の像は、調査できた箇所で
戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体近く、
周囲には広大な、未発掘の場所があるという。
これらが紀元前3世紀に作られたというのだから唖然とさせられる。
始皇帝の死後、秦に制圧された各地で反乱が起き、楚の項羽と漢の劉邦が覇を競う。
圧倒的に強勢であった項羽だが、やがて形勢が逆転し
ついに「垓下の戦い」で敗れて戦死する。
敗戦前夜、項羽の軍を囲む敵陣から項羽の故国である楚の歌が聞こえた。
味方もすでに多く敵方についたかと、項羽は負けを覚悟した。
「四面楚歌」の語源である。
形勢利あらずと悟った項羽は、別れの宴席を設けた。
項羽には虞美人という愛妾がおり、また騅(すい)という愛馬がいた。
これらとの別れを惜しみ、項羽は自らの悲憤を詩に読んだ。
これを「垓下の歌」という。
力拔山兮 氣蓋世 力は山を抜き 気は世を蓋(おお)う
時不利兮 騅不逝 時に利あらず 騅逝(ゆ)かず
騅不逝兮 可奈何 騅の逝(ゆ)かざるを 奈何(いかに)すべき
虞兮虞兮 奈若何 虞や虞や 汝を奈何(いかに)せん
私のタバコを吸えない嘆きと、項羽将軍の死を覚悟の悲憤とでは
砂粒と地球ほど違いますけどね。
By 転がる石