美人長命

戦国時代、岩船は平林領主の色部氏の領地でした。

今の下大町の町裏のあたりに色部氏の家老の浦氏が住んでいて、
その頃は岩船潟(琵琶潟)がありましたから、たぶん琵琶湖の竹生島を真似て
浦氏は岩船潟の中に弁天様を祀ったのでしょう。

弁天様は、元々はヒンドゥー教の芸術・学問などの知を司る女神だそうです。

仏教では、仏教の守護神である天部の一つに数えられて、
弁才天として日本にやってきたら、財宝のご利益もあると信仰され
弁財天とも表記されるようになって、やがて七福神の一つとして神様になりました。

元来インドの河神だったことから、日本でも水辺、島、池、泉など
水に深い関係のある場所に祀られることが多くなったそうです。

ヒンドゥー教 → 仏教 → 日本の神様

美人がもてはやされるのは、昔も今も変わりないですね。

秀吉の時代になって、越後の戦国大名の上杉家は会津に転封されますが、
上杉家の家臣の色部氏も、そのまた家臣の浦氏も会津に移ります。

浦さんは、弁天様の祭祀を菩提寺の最明寺に、管理を下大町の人たちにお願いして、
祭祀のための費用を送っていたそうですが、やがてお金が来なくなって、
お寺と町とで、どっちが負担するかでもめたこともあったそうです。

9月14日は岩船の弁天様のお祭りです。

学問のご利益もあるそうなので、ブログ当番に困らないように
スタッフのみなさんもお参りしましょうね。

by ガンダルフ