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第8回 島田ゆみ子さん(59) <島田パン>

島田さん
プロフィール
村上市南田中生まれ。西神納小学校、岩船中学校、村上女子高校卒。第四銀行に勤務し、村上支店・岩船支店などに配属、1975年の結婚と同時に退職して岩船へ。
娘2人は嫁に行き、現在は一人暮らしだが、10人の従業員に囲まれて忙しい日々。
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洋菓子のような食感で、誰もが大好き「あん生パン」。夫・幸雄さんが残した傑作品を岩船の特産に育てたゆみ子さん。
現在、菓子パンは約30種あり、取材当日のあん生パンの数はなんと1600個でした!

岩船小学校の卒業生にとって島田パンは思い出深い味です。今、給食はどんなふうですか。

小学校のパンを作り始めたのは昭和39年ころです。平成8年までは神林の3つの小学校のパンも作っていました。今、パンの日は月2回しかなくて、あとはご飯です。10年くらい前から岩中のご飯も炊き始めました。小学校と中学校の分を合わせて米は約33キロ。3段釜で3回炊きます。朝6時に洗米して、水切り、計量、水汲み、8時半にスイッチ。11時15分に届けます。

すごい量ですが、子どもの数の減少で影響もありますか。

ご飯は、学年ごとに一人分の分量が決まっていて、低学年から65、75、85グラム、中学校は95グラムなんです。小学校11缶、中学校6缶に分けるんですが、小学校で言うと、ひと缶に40人近くの分をぎゅうぎゅうに入れたものですが、今は20~30人弱になりました。給食のパンだけで生計を立てていた同業者には、廃業されたところもあります。

「あん生パン」の誕生秘話を教えてください。

移動販売でさまざまなパンを売っていましたが、昭和60年を過ぎて、スーパーの進出や山崎パンの普及で購買が芳しくなくなったんです。材料を仕入れている新潟の問屋さんに喜んでもらえるパンはないかと尋ねたところ、新潟ではあんパンにクリームを入れたパンが人気があると教えてくれました。普通、あんパンは白い生地ですが、食欲をそそるよう黒糖を使って、生クリームを注入するために直径7ミリの口金も特注で作りました。

お嫁さんがお店を継承するというのはあまり例がないですね。

あん生パン

夫が亡くなったときは、しおれてしまってたんですが、従業員さんが「あなたがパンを作るならついていくよ」と言ってくれて、その時に頑張ってみようと心に決めたんです。問屋さんも東京製粉から先生を呼んで個人指導をしてくれました。ここまで来れたのは先代の基盤があったからだし、ベテランの磯部静子さん、鈴木サヨさんはじめ、皆さんのおかげです。岩船で生まれた人たちが、帰ってきて楽しみに出来る食べ物になれたのが本当にうれしいです。