箱根駅伝2

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

皆様どんなお正月を過ごされたでしょうか?
私は毎年年末年始はなかなかゆっくりできませんが・・・
そんな私のお正月の楽しみは青駒さん同様に箱根駅伝。
今年も多くの名場面を楽しませてもらいました。
もっともリアルタイムではラジオ中継しか聴けませんが・・・(民放の実況は興奮しすぎで好みでないのでNHKで聴いてます)

さてさて、あまり多くを語らないあげふさんに代わり!?昔話を!^^

箱根駅伝の楽しみの一つと言えば母校の応援。
それも強豪校を卒業したOBは応援にも力が入る事でしょう。
しかし、私は高卒ですのでそう言った楽しみ方が出来ないのですが・・・
1991年(平成3年)の第67回大会は母校の選手を応援する事ができました。

前年、名将・青葉監督のもとで久しぶりに優勝した大東文化大学。
この年、連覇を狙って出場した大東文化。
そこのキャプテンで4区を走ったのが桜ヶ丘を卒業した選手だったのです。
1区こそ出遅れたものの4区でタスキを受ける時にはトップ。
テレビでは名前の次に(4年・村上桜ヶ丘)の文字。
その選手は見事区間賞を取る走りでタスキをつなぎました。
当時の大東文化は山登り・山下り共にスペシャリストがいたのでその後はトップを譲る事無く見事2連覇したのでした。
これだけだと大東文化大学の栄光を振り返ってるだけみたいですが・・・

実はこの67回大会こそ、我らがあげふさんが箱根駅伝に出場した大会なのです。
走った区間は奇しくも高校の先輩と同じ4区。
時々画面に映るあげふさん(1年・村上桜ヶ丘)に大声援をおくったのは言うまでもありません。
現在の4区・平塚~小田原間は18.5km。
トラック専門中長距離選手の箱根駅伝への出場機会を増やす為に距離が短くされましたが・・・
あげふさんの頃は20km超える距離だったと記憶しております。
あげふさんの距離適性なら今の距離が走りやすかったかな!?

まあ、昔話の続きは皆さんで集まった時にあげふさんを囲んで^^

最後に・・・
今年も、この岩船町ドットコムのスタッフブログのタスキは、皆さんで確実に途切れることなくつないでいきましょう!

byスター☆誕生