40年前の約束

(峠から屈斜路湖を望む)

2014112009460000

100年以上も前のこと
私のひいじいさんの妹が北海道に嫁いだ。
オホーツク海に面した沙留(さるる)という小さな漁村だ。

私が中学生の時に、その家の跡取りになった娘さんが我が家に来て
「お兄ちゃん、北海道にいらっしゃい」と誘われた。
「ぜひ行きます」と答えたのも、もう40年も前のことになる。

数年前にその方は亡くなられて、行かずじまいだったことを悔やんでいたが、
思い立って、母と二人で北海道まで墓参りに行ってきた。
40年前の約束を果たすことができて、ほっとしている。

古い親戚に世話になったが、見ず知らずと言っていい私たち親子に
北海道の人たちは本当に親切にしてくれた。
寒い土地で暮らす分、より暖かい心を持っているように思えた。

せっかくだからとレンタカーを借りて、サロマ湖~網走~屈斜路湖などを見て回った。
「幸せの黄色いハンカチ」もこんな感じで車で走っていたなと
思い出していたら、高倉健さんの訃報に接した。

追うように菅原文太さんも他界された。
お二方とも、報道される数日前に亡くなられていたのだという。

演じる姿そのまま。仰々しいのが嫌いなのだろう。
生前のインタビューでも、ニュアンスは違うが二人とも
「生きていくために役者をやっているんです」と言っていた。

高田まで、これも念願だった加川良のコンサートへ行ってきた。
加川良と言っても知っている人は少ないだろう。
フォークソングの草分けの一人だ。
本人はフォークと言われることが大嫌いらしいが。

売れ出したのは拓郎と同時期で、当時は比べられることも多かったが
その後次々と斬新なチャレンジをしてスーパースターになった拓郎に比べ、
加川良は自分の歌にこだわってマイナーになっていった
・・・などと解説されるが、そうだろうか。

もう67歳になるというが、まだ歌っている。
「生きていくため」なのだと思う。
経済的という意味もあるが、それよりも自分が生きている証なのだと思う。

人生をそのまま詞に乗せるから、良さんの歌は心に響く。
普通の人たちの、やるせない苦い思いを語る歌声が暖かい。

心の暖かさを感じた後で、選挙が始まった。
「国民の皆さんのためにっ・・・」
熱っぽく語る候補者の声を冷たく感じるのは
上空の寒気のせいばかりではあるまい。

by ガンダルフ