プチ放浪

前回の当番のスタッフブログ「〇〇の日」で、放浪願望のことなど書きましたが
いい夫婦の日も過ぎた先月の24日~26日と、願望の一万分の一くらい秋田~青森と放浪してきました。

どこに行っても、里山には人の力の及ぶ限りの高さまで畑が拓かれています。その先は見事なまでの杉の植林です。
岩山が海に落ちる半島の周りには、山と海の間の僅かな土地に、岩肌を背にして20軒ほどの家が並ぶ
集落が点在しています。漁を生計(たつき)の支えとして代を重ねてきたのでしょう

里でも山でも海でも人は懸命に生きてきたのだと感心しましたが、辺地ほど人口の減少も顕著のようです。
何世代、数百年にもわたって営々と続けてきた努力がここ数十年で無に帰すのかもしれません。
見事に育った杉が、切られる日は来るのでしょうか。

下北半島の大間岬でマグロ丼をいただいて、その帰りに恐山を訪ねました。
「うそり」とはアイヌ語の「うしょろ/窪地」の意味だそうで、「うそりやま」が転じて
恐山「おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになったのだそうです。
死者の魂が集まるといわれる霊場も冬期間は休業のようで、お寺の門も固く閉ざされていました。
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一人で宇曽利湖(うそりこ)を眺めてポカンとしていたら、建設会社の現場監督風の人がやってきて、
「これから道路を封鎖するから早く帰ってください」とのこと。私は恐山の今年最後の参拝者だったようです。

最後に、あこがれの津軽半島の竜飛崎を訪ねて帰路に着きました。
岡本おさみが「竜飛崎」を書いたのはもう40年以上前のことなので、泥運びのおばさんには会えませんでしたけど。

帰りは東北道を南下して、途中、平泉にも寄りたかったけど本当に放浪になってしまいそうなので
平泉・遠野方面は次の楽しみにとっておくことにしました。

3日間で1680キロ、ほとんど車の運転をしていましたが、カミさんのこと、
産声を上げることの無かった最初の子のことなど思い出して走っていました。

中尊寺金色堂の須弥壇には、阿弥陀如来や勢至菩薩ばかりでなく、他には例を見ない六地蔵が祀られていて、
これには奥州の平和を願った、奥州藤原氏初代清衡公の強い願いが込められているそうです。
地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、
救われない衆生の魂を救って旅を続けるとされています。
とくに、幼い子供が親より先に世を去ると親孝行の功徳も積んでいないことから、
賽の河原で鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされ、
地蔵菩薩は賽の河原に率先して足を運んでは鬼から子供達を守ってやり、仏法や経文を聞かせて徳を与え、
成仏への道を開いていく子どもの守り仏とされています。

私が一番好きな昔話は「笠地蔵」です。

餅を買うお金もない貧しい老夫婦のおじいさんが、大晦日に町まで笠を売りに出かけたけれど一つも売れなくて、
雪の降る帰り道の山の中で、六地蔵に雪が積もるのを気の毒に思って、持っていた笠を地蔵様にかけたけど、
一つ足りなかったので自分のかぶっていた笠も地蔵様にかけて、
家に帰って笠は一つも売れなかったこと、その笠を全部地蔵様にかけてきてしまったことをおばあさんに詫びたら、
「それはいいことをしました」と、おばあさんはおじいさんを責めませんでした。
その夜、物音がするので戸を開けてみると米や餅や宝物がどっさり積まれていて、
山へ帰っていく笠をかぶった地蔵様たちが後ろ姿が見えましたとさ・・・

年内の私のブログ当番はこれで終わりです。
ちょっと早いですが、皆様、家族睦まじく良いお年をお迎えください。

Byガンダルフ