永遠のパラレル

男女であれ、老若であれ、どこの国の民であれ
人はみな平等である。

ただ男女の性別による役割の違いはある。
役割の違いによる思考方法の違いも、大まかにはあると思う。

そこのところの性差による理解の壁を超えられない人が、男にも女にも多い。

女性は自分の胎内から新しい命を産み出す。
男性は伴侶から産まれてきた子どもを、自分の子どもだと信じなければならない。

命懸けの実体験が女をリアリストにする。
体験できない男は、夢を見るロマンティストになる定めなのだ。

リアリストは納得いくまで現実を突き詰めなければならない。
ロマンティストは曖昧に、受け止め方に幅を持たせることを上々とする。

ロマンティストは突き詰めようとするリアリストを「話しが長い」と感じてしまう。

だからと言って感じたことを立場もわきまえずに言っちゃうのはマズい。
でも言葉ひとつをヒステリックに取り上げるのもいかがなものか?
元来、放言癖のある老人だが使い道も大いにあったのだ。
オリンピックは大きな利権がつきまとう。
残念ながら清だけでは動かない。濁も呑み込まなければならない。
ボランティアを辞退した市井の一市民のコメントと
いやしくも元総理の釈明と並べて論じるべきではない。

リアリストとロマンティストのパラレルは
アダムとイヴが林檎を食べてから永遠に続いている。

 

それでなくても危うい五輪の開催に、
このパラレルが遠因の騒動がさらに暗い影を落としたとしても、

人間の原罪ゆえならば、仕方ないと受忍しようではないか。

By 転がる石