♪一番はじめは一の宮
二また日光中善寺
三また佐倉の宗五郎
四また信濃の善光寺
五つは出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つは成田のお不動様
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の高野さん
十で東京心願寺
岩船祭りで歌われる呼び太鼓の歌
東京心願寺は不明、創作だと思う
新潟県神社庁に登録されている岩船郡村上市の神社は247社
今、村々の鎮守様を巡っている
岩船で歌われるのはこの後、徳富蘆花の「ホトトギス」の武夫と浪子の悲恋が続く
馴染みやすく、懐かしく、どこか哀しい歌
子どもの頃からの愛唱歌
この曲は全国に広まって、処々の詞で根付いている
20年以上前に読んだ岩波新書「日本のわらべうた」では
曲は元々(愛知県)岡崎地方の手毬歌とあった
数え歌の詞の方は文化文政期に江戸で流行した「越後節」という瞽女歌が元だと
♪一に岩船お地蔵さまヨ
二には新潟白山様ヨ
三に讃岐の金毘羅様ヨ
四には信濃の善光寺様ヨ
五には呉天の若宮様ヨ
と続く瞽女歌の詞が載っていた
これを見つけたとき、幻の岩船地蔵は存在していたのだと小躍りしたが
その後この岩船お地蔵さまヨは栃木の岩船地蔵を歌ったものだと考えを改めた
文化文政は江戸八代将軍 吉宗の治世である
当時、庶民の間で吉宗は岩船地蔵の生まれ変わりだと崇められていたとか
その岩船地蔵は下野(しもつけ)岩舟町(現栃木市)の
岩船山高勝寺(がんせんざんこうしょうじ)のお地蔵様
昔、一度訪ねたことがある
♪帰命頂礼(きみょうちょうらい)
岩船のお地蔵様の召す舟は・・・
そんな和讃を高勝寺で見た
ずいぶん昔のことでガラケーだったのだろう
あればよかったのに写真を撮った覚えがない
下野一帯は繰り返し冷害で飢饉に襲われたところだとか
貧しい庶民は病気や、時には親が間引いて、子を死なせてしまった
子どもの魂を、せめてお地蔵様に救ってもらいたい
辛く哀しい信仰が高勝寺の岩船地蔵を関東一円に広めた

YOU TUBUで70年代の初代高橋竹山を視た
戦争のときは難儀した
門付けしても「戦にも行かない非国民が」と怒られた
戦争は悪いもんだ
そんなときに弾いてた歌だ
そんなことを語りながら演じていた
生まれつき盲目の竹山は三味線抱いて門付けするしか生きる道が無かった
越後の瞽女もそうだ
ずっと前に最後の瞽女さんのインタビュー記事を読んだ
足袋を履くと足袋が濡れて足が冷える
裸足の方がいい
ありがたい師匠の教えです
雪の中も裸足に草鞋で旅したのだろう

津軽三味線も若いスターが続々と生まれている
ジャンルを超えてコラボしたり
だけど、人生そのものの竹山の三味線は圧倒的だ
村々の鎮守様は立派なのもあれば、みすぼらしいのもある

村上 藤基神社

高根 河内二柱神社

赤沢 大山祇神社
境内には石碑も多い

殿岡 日吉神社
お宮よりも古いのだろうと思う
「湯殿山」はたくさんあるが比較的新しい気がする
「金毘羅」「古峯」「庚申」・・・色々
どれもが人々の祈りの歴史
おろそかにはできない
でも草鞋でなく原チャリで回っています

ジョルノ
楽してすみません
by 転がる石

