必然のスキャンダル

「麒麟が来る」が終わった。

 

光秀の生存を匂わせるようなエンディングだった。

光秀=天海はなかろうが、余韻の残る洒落た演出だ。

 

歴史上架空の人物の活躍が過ぎるのはいかがなものか・・などとの批判は

史実と創作の区別のつかない愚民のたわ言である。

 

ストーリーを通して

 

麒麟を呼ぶためには信長のパワーが必要だった。

暴走を始めたパワーを止めるために光秀が必要だった。

パワー抑止の荒療治からの回復に秀吉が必要だった。

世があらかた回復したところで家康が麒麟を具現した。

 

と、なるか。

 

大河ドラマはフィクションだとして、リアルな歴史に思いを巡らせると

かえすがえすも「本能寺の変」は必然として、

必然の後の経緯は、鋭利な光秀にしてはあまりにもずさん。

 

少なくとも家康は味方にしておかないと。もちろん毛利と上杉と長宗我部も。

畿内は明智、西国は毛利、四国は長宗我部、北国は上杉、

東国は徳川でとプランを提示すれば、どの家中も後のことはまずおいて、

当面良しだったのではないか?

 

織田家中の羽柴秀吉を毛利が、丹羽長秀と織田信孝を長宗我部が、

柴田勝家を上杉が、滝川一益を徳川が、明智は織田信雄を、

それぞれ牽制して個別に撃破していけば。

変を企むなら、そこまで想定して根回ししておかないと。

 

このあたり、唯我独尊という点で信長と光秀は似た者なのだと思う。

 

それに比べて秀吉は、この頃はまだ自分の器量不足をわきまえて

弟の秀長、蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛など

側近、軍師のいうことをよく聞いている。

 

光秀が半兵衛や官兵衛のような軍師を重用していれば・・・

 

でも、そうであれば時代の中での役割を超えてしまって

麒麟は来なかったかもしれない。

 

すべては必然だったのだろう。

 

それにしても信長の正室、帰蝶を演じた川口春奈は素晴らしかった。

当初の女優が降板しての代役だったのが、

まるで彼女を想定しての脚本か?とネットで盛り上がるほどの好演だった。

 

となればまるで、当初の配役のスキャンダルもまた、

麒麟が来るための、必然だったのかもしれない。

 

By 転がる石