泣きの啄木

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BSのチャンネルを何気に回していたら 中原中也と石川啄木を取り上げた番組をやっていた。

中也の「汚れちまった哀しみ」ってなんだろう? との問いに、ゲストの高橋なんとかという作家は

「人はいろんなことを経験して成長する。たとえば少年が女を知って大人になる。 知る喜びもあるだろうけど、知ることによって無垢な自分には戻れなくなる。 そういうものが、汚れちまった哀しみなのではないでしょうか…」

と自分なりの解釈を披露して、キャスターの女性アナウンサーに

「女性はそういう感覚はありませんか?」

と尋ねたら、彼女は

「女性の場合、知った喜びが大きいと思います。」

と答えてから、ちょっと赤面していたのが面白かった。

 

詩歌に詳しくはないが、中也と啄木と山頭火くらいの詩歌集は持っている。

そのテレビ番組を見て、あらためて啄木は泣きの歌人であると思った。

今日は時間がないので、これで誤魔化す。

 

 

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹(かに)とたはむる

 

頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

 

大海にむかひて一人 七八日(ななやうか) 泣きなむとすと家を出(い)でにき

 

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽(かろ)きに泣きて 三歩あゆまず

 

やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに

 

己(おの)が名をほのかに呼びて 涙せし 十四(じふし)の春にかへる術(すべ)なし

 

「十四(じふし)の春にかへる術(すべ)なし」

中也の「汚れちまった哀しみ」と同じ哀しみだろうね。

by ガンダルフ